増山明夫
   ピアノ音質が変わるという錯覚を利用した演奏

  1. 「音質が変わるような錯覚を与える奏法」が存在
 「ピアノの音質を変える事は物理学的に不可能」だという事は1世紀近く前に心理学者の兼常清佐氏 が明らかにしていますが、今でも音楽家は「ピアノの音質を変えられる」と考えているようです。

 「UFO(や幽霊)を見たからUFO(や幽霊)が存在」というのは自分の感覚を基準とする観念論です。
 科学すなわち心理学では「UFO(や幽霊)を信じている人はUFO(や幽霊)を見る可能性あり」となります。
  「ピアノの音質が変わる」も同じく、自分の感覚を基準とした観念論であり、科学的には
  「ピアノの音質が変わるように聴こえる錯覚があり、それを利用した演奏が存在する」
  という事になります。

  2. 名演奏家ギーゼキングのいう2種の奏法の実体
 中学3年のときピアノを買ってもらい、ピアノ奏法の本をいろいろ読んでみました。 その中で価値のある ものは当時の有名演奏家ギーゼキングのものだけだったと思います。 ギーゼキングはこの2つの奏法が芸術 的演奏の基本だと書いていました。   音質そのものが変わらない以上、音量やテンポの変化のパターンが「音質が変わる」という錯覚の原因でな ければならない。 そこで最初にわかったのが、 「メロディーや楽句の最後の音が(前の音より)小さい」が「ソフトな奏法」であり
「最後の音の音量が(前の音と)同じか大きい」が「普通奏法」だという事です。
 実際の音を聞いて次の3種の奏法を比較してみましょう。 3つは連続して入っています。

   ①ドレミファソラシドの最後のドを強く弾いた場合
②最後のドを弱くした場合
③最後を段々弱くした場合
人間が弾くと目的以外の音量変動が入りますから、コンピューターに弾かせる事にします。  



 では画面「音階実演」をクリック!!!

「音階実演」
クリックすると音が出ます。
最初のドレミファソラシドは最後がわずか強くなっています。音量が 64→70
 2回目は逆に弱くなっています。                64→50
 3回目は最後をdimにした場合です。              64→57→50
  64とか70というのはLogicという音楽ワ―プロの音量を示す数字。   ここでは音量変化を大変大きくして、錯覚が生じた事がわかりやすいようにしているので、2回目の奏法が いくらか不自然になります。 気になる場合は3回目のようにすると不自然さがめだちません。   実際には注意して聴かないとわからない程度の変化とするのが普通です。   また一流プロの演奏では等音量指定の場合、たいていの場所でほんの少し弱く終わるつまり多少ソフトな演 奏にするのが普通です。 丁寧という感じになります。 

数字の苦手な人は以下の数表と小さい文字を読み飛ばしてください。  





 以下の音出しでは、スマホの種類やパソコン音源の音質がソフトだと「乱暴」という演奏でも  ソフトに聴こえる場合があります。 また逆に「ソフト」だという音が乱暴に聞こえる場合が  あります。 しかし演奏を比較すれば相対的には記述の通りだということがわかります。



      


 実際の楽曲の例としてベートーヴェンのピアノ協奏曲6の一部を示します。メロディーはオーケス トラで、ピアノがアルペジオをやりますが、そのアルペジオの最後の音が強い場合と弱い場合を比較 します。  例によってコンピューターによる演奏ですが、聞いて見てください。 この赤印は楽句の最後の音ですが、これを強く弾いた
「演奏1」

と弱く弾いた
「演奏2」
をクリックで比較して見て下さい。 3小節目以下も印は ないが同様の音量変化パターンにしています。

  音量変化は演奏1のアルペジオが ワープロ音量数字で87-87-87-97 
      演奏2のアルペジオが          87-87-87-82 
 1のほうは雄大で直線的ですが、2のほうはソフトで貧弱でありベートーヴェンらしく聞こえませ ん。 

   コンピューターのデーターは

 実際にはGの1つ前の音E♭も少し大きくした
「演奏3」
が不自然さが少なく一層最後を強くする事ができますから実 用的です。 クリックで比較してみてください。

  これに類した錯覚を与える諸パターンでは
「メロディーや楽句の最初の音の音量が大←→小」
「トリルの速度一定・音量一定←→はじめ遅い・弱い」「終わりが遅い・弱い」
「和音の一番上の音の音量が他の音と同音量か大←→小」
などがあります。 3つ(数え方では6つ)の場合いずれも左が「普通奏法」右が「ソフトな奏法」で す。 ただし変化の度合いがいくらか低いようで適用の機会は前記のものに比べて少なくなります。

    3. これらの奏法が適用できない場合にどうするかの例
 一見、前記の奏法の効果が、曲想と矛盾するので困る事があります。

 最初に気づいた例はチャイコフスキー「秋の歌」でした(上記楽譜)。 高3のときです。
 赤のAの音はアクセントつきであり、poco crescの最後の音ですから物理的音量は大きいと考えら れます。 しかし、そうすると「雄大、直線的、派手、乱暴…」のうち、乱暴になってしまうのです。
 dolorosso及び,molto cantabileという曲想指定と「最後の音が大」から生ずる印象が矛盾するので、 乱暴という悪い評価になると考えられます。 実音量がメロディーや楽句の最後で強くなっていても、 ソフトに聞こえるようにはできないでしょうか。

 そのような場合は、問題の音を遅れて打つ」という方法があり、遅れて打った音はソフトに聞こえ ます。
「機械的演奏」
はそのまま計算機に弾かせたもの。
「Aを遅く打った演奏」
はAを遅く打ったものです。
 

どの位遅くなっているか音楽ワープロの右手演奏ピアノロール表記を示します。 Aの音が遅れている事が わかります…右手のピアノロール・黄色がAの音で縦の桃線が機械的に弾いたときの位置です。  遅れの程度はAの音の1/12ですから1/15秒です。 

   右のほうの音は重なっていますが「3連の指定は実際にはレガートと同じように弾く」と考えてそ うしています。 演奏1演奏2とも同じ。
 こちらはLogic9というワープロ+Macパソコンです。 Logic5が壊れてしまいましたが会社がMacに吸収され てWindowsパソコン用Logicを作らなくなったのです。  この程度遅くすると効果は大きいがやや不自然になるので、実際には3連で2つ前のDのところで 極くわずか気にならない程度にritとし、Aの遅れが目立たないようにすると同時に、後記の「予告 効果」として1つ前の小節の最後のほうををわずかに長く(これも気づかない程度)する のだと思われます。それが
「人間の演奏に近い演奏3」
です。
 人間が弾いたのに近い感じでしょう。 人間が弾いたのと同様にするにはペダル入力が必要ですが、 知る限り電子楽器ではペダルが使い物にならないです。  この場合のテンポ変化を示すと  最初は =75 画面4小節3拍で73 4拍で68 5小節目75 2拍目C#で73,2拍目 Dで70となります。
   全部の物理量は演奏3をクリックすると音と同時に示されます。   

 チャイコフスキーはこの演奏法を知っていて、頭の中の音楽では遅れて打鍵しているものが聞こえ ているから、このようにpoco cresc とアクセントを指定したと考えるしかないです。 類例はショ パンとシューマンにあり、ショパンでは例が多いようです。 他の大作曲家にもあると思います。    強い音が乱暴に聞こえないようにする方法としては少し触れた「予告を出す方法」があり、その予 告にも多数の種類がありますが、その分類はできていません。

 他にも多数の「音量やテンポのわずかな変化のパターン」の錯覚を利用してさまざまな印象を作りだす技術 があります。 CDを聞くとルビンシュテインがショパンを弾くときは、4-8小節あたり6種程度の技術が使 われていて多いところでは10種前後になっています。  知る限り最も多種の技術を使うのはラフマニノフで、 「どのような技術を使ったか…細かい音量・テンポ変化の型」のわからない事が少なくないです。  。

 
  「音楽雑話」